プロフィール

はじめまして。
プロフィールをご覧いただきありがとうございます。
ブログ運営をしている、やまけんです。

このページでは少し寄り道をして、ブログを始めたきっかけについてお話ししたいと思います。

僕とブログの読者さんを繋げているのは、ズバリ「食べることが好き」という気持ちだと思います。(ドヤ)

けれど、一概に食べるのが好きといっても、その理由や背景には人それぞれ違ったストーリーがあるはずです。

僕のケースを紐解いてみると、そこには子どもの頃の体験や、大切な人たちとの記憶につながっていることに気づきました。

そんな貴重な思い出や時間が重なってこうしてブログを書けているので、この場をお借りして書き残しておこうと思います。

読みながら「同じ気持ちだ」あるいは「全くピンとこない」など考えを巡らせることで、読者さん自身にとっての回想記にもなれば嬉しいです。

それではいってみよう。

田舎育ち

突然ですが、みなさんは「田舎」というワードを聞くと、どんな風景を思い浮かべますか?
田んぼのそばを小川が流れ、畑では農家の人たちがクワをふるい、時折「熊出没注意」の町内放送が流れる……。
はい、まさしくそれが僕の生まれ育った場所です。

高層ビルやデパートもなければ、最寄りのコンビニまで車で15分。

都会のような「便利さ」とは程遠い場所かもしれませんが、その代わりに自然の恵みが地元にはたっぷりあります。
山で採れるタケノコやワラビ、川で釣った魚、そして実家で育てたお米や野菜。
家の周りや地域で採れた食材が、毎日のように食卓に並んでいるのが当たり前の暮らし——。
こうした田舎ならではの経験は、今の僕にとってかけがえのない財産になっています。

そんな田舎での生活を送る中、特に記憶に残っている出来事が一つあります。
ある日、実家の裏山から突然「ドスン!」という音とともに、一匹のイノシシが落ちてきたのです。
イノシシは足の骨を折ってほぼ息絶えた状態で、僕たち家族だけではどうにもできなかったので、知り合いの方の手を借りて、みんなで命をいただくことにしました。

その日の晩、猪肉がずらりと並んだ食卓。
「これ、今日落ちてきたイノシシの肉よ」と母が言いながら焼いてくれたその肉は、普段食べているものよりも噛みごたえがあり、野性味のある、どこか力強い味がしました。

かたい肉を噛んでいると、まだ生きていたときのイノシシの姿が脳裏に浮かんでくる——。
子どもながらに、命を「いただく」ということのありがたさを身をもって感じた瞬間でした。

自然に囲まれながら、自然からの命をいただいて育ったこと。
それは、食べることの尊さや食材に感謝する心を教えてくれた原体験であり、大人になりこうして世界中で好きなものを食べられるようになった今でも、変わることのない僕の原点になっています。

惣菜屋さん

小さい頃の体験が、気づかないうちに人生の土台を作っている——。
僕にとって「食べることが好き」になった理由には、もうひとつ大事なエピソードがあります。
それは、祖母と母が営んでいた惣菜屋で過ごした日々です。

小学生の頃の僕は、放課後になると祖母の家に帰っていました。
実家よりも学校に近かったというのもありますが、そこにはもうひとつの楽しみがありました。
祖母の家は惣菜屋を経営していて、帰宅するとガラスの陳列棚には毎日さまざまなおかずが所狭しと並んでいます。

エビの天ぷら、金時豆の甘煮、レバーの煮物、唐揚げ、ポテトサラダ——。
「今日はどれにしようかな」と迷いながらお気に入りのおかずを選ぶのが、放課後の空腹を満たす喜びでした。

そして、厨房を覗くと、お店に並ぶひとつひとつの惣菜を祖母と母が協力して作っている姿がありました。

どんな食べ物でも、その向こう側には誰かがいて、手を動かして作ってくれている。
そうした当たり前のことを近くで見てこれたのは、振り返るととても貴重な体験だったと思います。

食べることの背景には、必ず“人”がいる。
そのことを今でも身近に感じられるのは、毎日一生懸命に働く祖母と母の姿を見て育ったおかげです。

惣菜屋で使っていた厨房跡。

海外での食体験

幼い頃の食にまつわる経験や思い出は、僕にとってかけがえのない原点です。
自然の恵みに囲まれ、家族の味とつながっているあの日々が、「食べることが好き」という気持ちの土台になっています。

しかし、そんな僕にとって人生の大きな転機となったのが、大学を卒業したあとにワーキングホリデーのため日本を飛び出して、カナダのトロントで一年間過ごしたこと。

この期間に僕は、現地の人はもちろん、さまざまな国から来た人たちと出会う機会に恵まれました。
そして何より驚いたのは、街にあふれる多国籍な食文化
インド料理、中東のファストフード、韓国のお惣菜、フィリピンの家庭料理まで——まるで「世界の食卓」がそのまま街の中にあるような感覚でした。

田舎で新鮮な食材に囲まれて育った反面、これほどまでに多種多様な異国の料理を食べる機会は初めてでした。
そんなトロントでの生活は、自分の中の「食の世界地図」を大きく広げてくれた貴重な体験。

それからというもの、「もっといろんな国の料理を知りたい、食べてみたい」と思うようになりました。

帰国後は東京の暮らしを経て、現在は上海に拠点を置いています。
場所が変われば、食も変わる。
東京でも上海でも、これまで知らなかった食べ物や文化、そして人に出会う機会がたくさんあります。

自分のルーツを大切にしながら、これからも世界の「美味しい」に出会っていきたい
そんな思いが、僕の「食べること」への探究心につながっています。

食べることについて

ここまで僕自身の「食べることが好き」になるきっかけや体験についてお話しさせていただきました。
田舎で育ったこと、家族で過ごした日々、そして世界各国の料理との出会い——。
けれど、これらはあくまでも僕だけの「食」にまつわる個人的なストーリーです。

「なぜ食べるのか」「何を食べるのか」は、やはり人それぞれの価値観があり、どれも正解なんだと思います。
けれど、だからこそ自分なりに考えて、自分にとっての「食べること」の定義を持つことが大切なのではないでしょうか。

僕にとっての「食べること」は——生きている間だけの、特別な贅沢

そう思うようになったのは、ファスティング(断食)をしたことがきっかけでした。
僕はここ数年、年に2回(1月と7月)、短期間のファスティングを行っています。
水や酵素ドリンクだけで数日過ごすことで、内臓を休めたり、体調を整えたりするための習慣です。

でも、それ以上に、この時間は僕に「食べることのありがたさ」を改めて教えてくれます。
初めてファスティングを経験したとき、空腹でフラフラになりながらふとこう思いました。

「このまま何も食べなかったら死ぬんだ」

——と同時に、「食べられるのは生きているからこそできる行為なんだ(当たり前)」と強く感じたのです。
それ以来、「毎日の食べる時間を精一杯楽しもう」と思うようになりました。

そしてもう一つは「食べること=ご縁」だということ。
祖母と母が営んでいた惣菜屋は今はもうありません。

おばあちゃんも亡くなってしまい、同じ空間で食卓を囲むことも二度とありません。

「あの時の味は、あの時だけの特別な体験」

今、僕が住んでいる街、今しか行けないお店、今しか会えない人と食べるごはん。
それらもまた一つひとつ、すべてが「今この瞬間にしかないご縁」なのだと祖母は教えてくれました。

だからこそ僕は、これからも毎日の食事を「当たり前」と思わずに、大事に味わいたいです。
どんなに忙しくても、どんなにささやかな食事でも、感謝と好奇心を忘れずに「食べること」を楽しみたい。

そんな思いを込めながら、コツコツとブログ記事を書いています。
読んでくださる皆さんともご縁があり、ブログを通じてそれぞれの持つ「食の記憶」や「食の楽しみ」とつながれたら万々歳です。

長くなりましたが、ここまで読んでいただき本当にありがとうございます。